ガーデニングやプチ農園が流行りの昨今ですが、四代目の昔話に登場する農園はかなり性格がちがいます。
このお話もやはり戦時中のことですが・・・昭和19年当時、徐々に食糧難になるなか、少しでも食料を自給しようということで作られた菜園で、その名も「決戦農園」。
その頃、飲食店組合の組合長をしていた、当店二代目の音頭取りで始まったと言われています。
早稲田通りと明治通りの交差点(いまの馬場口交差点)は昔ロータリーになっていて、その真ん中に安全地帯が設けられていました。
それはごく狭い面積ですが、そこを菜園として有効活用しようということになったわけです。
交差点の中央で土を耕す光景は今の時代からすると滑稽に映りますが、当時は大まじめだったことでしょう。
どういった野菜が収穫されたかまでは分かりませんが、おそらく大根や胡瓜のようなものだったのでしょうね。
このような大変な時代の話を聴くと、今はつくづく平和なのだなと実感します。
そしてこの平和を享受できるのも先人たちのおかげです。
感謝です。
※上の写真、中央で訓辞をたれているのが二代目。黒い詰め襟を着た人は巡査たちです。人々は足にゲートルを巻いています。下の写真で面白いのは、自動車がまったく走っていないということ。厳しい戦況のなか、私用で車に乗る人など殆どいなかったでしょうが、24時間ひっきりなしに車が通る現在の明治通りからは想像もつきませんね。
コメント