みんさん、社会人野球の敢闘選手に贈られる久慈賞をご存知でしょうか。
この賞は、大正時代に活躍した早稲田大学野球部の名捕手、久慈次郎選手の名を冠したものなのです。
大正時代、まだ「八幡屋(はちまんや)」と名乗っていた当店は野球部員のたまり場でした。
監督の飛田穂洲先生は時たま顔を出される程度でしたが、選手たちはよく来ていたものです。
そんな選手のなかに久慈次郎さんがいました。
当時十代だった祖母ゆきは学生さんたちの人気の的で、ゆき目当てに来ていた学生さんも大勢いたほどです。
ゆきと久慈次郎さんは顔立ちが似ていて、そのため学生さんたちは面白半分に久慈さんを「ゆきちゃん」、ゆきを「次郎さん」と反対にして呼んでいたそうです。
なんとも微笑ましい光景ですね。
ちなみに久慈さんはその後、プロ野球(ジャイアンツの前身)に初代主将として参加を要請されましたが、それを辞退して、北海道でアマチュア野球を続けました。
しかし昭和14年、試合中の事故で惜しくも還らぬ人となってしまいました。
のちの昭和34年、最初の野球殿堂入りを果たしたひとりとなり、先の久慈賞と併せ、球界にその名を残されています。
※写真は久慈次郎さんとゆき(ゆきは若い頃戸塚小町と呼ばれていました)
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