3月16日。JRグループのダイヤ改正で、北陸新幹線が敦賀まで延伸になりました。
それに伴い在来線の敦賀〜金沢間も第3セクターに移管され、それまで走っていた特急サンダーバードも敦賀までの運行になります。
北陸本線といえば、だいぶ以前に乗車した寝台特急のトワイライトエクスプレスを思い出します。
今日は過去のブログからその時のものを再掲してみようと思います。
当時は北陸本線も全通していましたから、日本海縦貫線を通って北海道まで列車でいけたのです。
今となっては懐かしい思い出ですね。
以下お楽しみください。
「少し前の話になりますが、(2006年)6月の18・19日と連休させていただき、その休日を利用してぶらり一人旅をしてきました。
大阪-札幌を結ぶ寝台特急トワイライトエクスプレスというのに乗ってきました。今回は上り列車で札幌から京都までの乗車です。
飛行機で昼ごろ札幌に着き、間もなく車上の人に・・14:05、静かに発車したトワイライトEXPは心地良いバウンドとレールの響きを車内に伝えながら初夏の北の大地を駆けていきます。大地の広さに比例してゆっくりと移り変わってゆく車窓には、草を食む放牧の馬や、無人の小さな駅舎、太古の昔から変わらないであろう原生林などが、あらわれては消え、眼を愉しませてくれます。有珠山や昭和新山、駒ケ岳そして大沼も北海道の雄大さを見せつけてきます。
夏至間近の北海道では午後8時近くでなおまだ薄明るく、江差線を行く列車からは津軽海峡の彼方に本州が望めるほどです。そしてこの列車のメインイベントのひとつ青函隧道に突入です。ひときわ長い汽笛とともに薄闇から闇に景色もかわります。永い年月と幾多の難関の末に開通した隧道をこのような快適な乗り物に乗って通り抜けるのは、少しの後ろめたさを感じますが、享受することもそれに報いることかな、などと取り留めのないことを考えてしまいます。
再度の長声を張り上げるとそこはもう内地。しかし夜の帳が降りた津軽半島はトンネルの中との区別がつきません。青森で機関車を付け替えた夜行寝台は一路日本海側を南下し始めます。時計を見ればもう午後10時。洗面して、備え付けの夜着に着替えてベッドにもぐりこみます。言い忘れましたが今夜のねぐらはB個室寝台という廉価なお部屋。しかし安いと言っても個室である以上、乗客は一国一城の主。一人旅の極致です。
横になりカーテンを開けたまま暗い夜空をぼんやり眺めるのもいいものです。闇の中に水銀灯の光が尾を引いて流れ去り、田圃の畦道の踏み切りが間延びして入り込んできたり・・レールの小気味よい響きに身をゆだねていると、いつしか眠りにおちてしまいます。
秋田や酒田など、昼間は活気に満ちたこれらの都市も今は寝静まっています。そんな街まちを白河夜船ならぬ白河夜汽車で通過します・・・。
振動で目を覚まし、外を見るとそこは新潟の新津。反対のホームには昨夜新宿を発ったムーンライトえちごが止まっています。時刻は午前4時半。真夏の朝ははやいので、私もベッドをソファーに戻して2日目の車窓を愉しむことに。今日の下車地の京都には昼過ぎの到着予定。まだ8時間近くも愉しめると思うと朝からウキウキします!
走り出した列車の窓からは北海道のものとは違う景色が流れていきます。富山の辺りでは穏やかな夏の日本海が目の前に広がり朝日をきらきらと乱反射させています。下りトワイライト・エクスプレスはその名の通り、日本海に沈む夕陽を全行程のハイライトにし、そこから命名されています。
朝食は食堂車のダイナープレヤデスで和定食をチョイス。30年前なら特急列車に食堂車があるのは当たり前でしたが、いまでは極稀少です。そんな懐かしの車輌で、笑顔のキャビンアテンダントの女性に給仕してもらい美味しさもひとしおです。部屋に戻り食後のコーヒーで締めくくります。
左手に白山を見て、古都金沢を通り、北陸の玄関口福井を走破していきます。敦賀で、青森から夜通し牽引してきた機関車を交替させます。ここでホームに降りて写真を数枚。CAさんや車掌さんともパチリッ。
琵琶湖が見えてくると、今回の旅もそろそろ終わりに近づきます。去りがたい気持ちを何とか抑えて午後の京都に降り立ち、大阪へ向けて滑り出す濃緑の編成を見送りました。
親鸞聖人の東本願寺で手を合わせ、街をぶらぶらして、京都伊勢丹で昼食を摂りました。あこがれの料理屋の和久伝さんでランチを。薄味の、しかししっかりした味付けの京料理はランチといえども素晴らしく、この一事だけとっても京都で降りたのは正解でした。
あっという間の連休でしたが、私には濃密な時間でした。」