五代目のブログ

ありがとうございました

平成30年もいよいよ暮れようとしていますね。

皆さま、本年もたいへんお世話になりました。

今年は六代目が札幌すし善さんでの修行から戻って、八幡鮨で一緒に働くようになりました。

北島くんとふたり、若い力で随分と八幡鮨を盛り上げてくれました。

四代目と女将にはいろいろと迷惑をかけつつも、助けてもらいながら前に進むことができたと思います。

何より、素晴らしいお客様がたのお陰で今の八幡鮨があります。

そして来年で八幡鮨151年目を迎えます。

明治151年は、新元号元年でもありますね。

八幡鮨も気持ちを新たにやって参りますので、どうぞこれからも八幡鮨をよろしくお願いいたします。

どうか皆さま良いお年をお迎えくださいませ。

八幡鮨五代目

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未来へと

いよいよ本当の年の瀬となりました。

今日は今年最後の仕入れをしに、豊洲市場に行ってきました。

鮪も魚もしっかりと揃えました。

馴染みの仲買さんたちに暮れのご挨拶をして、笑顔で来年の再開を約束して。

久しぶりに車で来たので、帰りは新しくできた環状2号線を通ってみます。

開通して間もない新道はとても綺麗で、まるで晴れやかな未来へと続く道のようでした。

残り数日。

この道のように晴れやかな気持ちで新年に向かいます。

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紫のカーネーション

夜ベッドに入って目を閉じると、まぶたの裏に鮮やかな光が現れることがあります。

目の前一面がその光で覆われ、部屋の明かりを消し忘れたかなと勘違いするほど明るい光なのです。

一番多く出る色は紫で、他は鮮やかな黄色だったり明るい赤色だったり、深い青色だったりといった具合に。

別に意識したから現れるわけではなく、気がつくと目の前がその色に覆われているといったような感じで。

先日、以前のアルバイトさんがお店に遊びに来てくれて、その時にお土産に花を持ってきてくれました。

なんでも、サントリーさんが開発したムーンダストというカーネーションだそうで、それはそれは美しい色です。

この色合いはどこかで見たことがあるなあと思っていて思い出したのが、前記のまぶたに映る紫の色だったのです。

綺麗でしょう。

目を閉じたら、目の前がこんな色で覆われているなんて、ちょっと幸せな感じなりますね。

美しいお花をありがとう。

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包丁の柄にガラスコーティング

魚の仕込みには出刃、刺身や寿司の魚の切りつけには柳刃。

寿司屋は大体この2種類の包丁を使って仕事をしています。

包丁はほぼ毎日研いでいますから、だんだんに小型になってきます。

大体ひと回りほど小さくなると新しいものと変えるのですが、使い方によっては刃よりも柄のほうが先にダメになることもあります。

柄は木材ですから、水が浸透したりして脆くなってくるのですね。

そこで、柄にガラスコーティング施した包丁をお客様から頂戴し、それを使って長期間の実験をすることになりました。

木にガラスコーティングをかけるとツルツルして使いづらいという印象を持たれるかもしれませんが、新開発のアークコートは木の手触りやぬくもりがそのまま保たれている優れものです。

八幡鮨では、すでに檜のカウンターやシャリ櫃にもコーティングしてあり性能は実証済み。

使用頻度の高い包丁でどのような変化があるのか、あるいはないのか、今から楽しみです。

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職場体験

大抵は中学校でする職場体験学習ですが、近所の戸塚第一小学校では六年生が毎年いろんなところで職場体験をしています。

八幡鮨でも今年もひとりに来てもらいました。。

毎回良い子が来てくれますが、今年はまた一段と素晴らしい男の子でした。

八幡鮨の職業体験では、ホールと洗い場の両方を担当してもらうのですが、今年の子はほとんど何も教えていないのに、大きく明るい声で「いらっしゃいませ!」、「お待ちどう様です!」、「ありがとうございました!」とやるではありませんか!

小さい頃から剣道をやっていたからか、立ち居振る舞いも端正で、北島くんと六代目にとって良い刺激になったようです。

職場体験の前段として五代目がここ毎年やらせていただいている六年生への講話も、みなさんとてもよく聴いてくれて、戸塚第一小学校の生徒たちの質の高さを改めて実感しました。

六年生の皆さんありがとう。

皆さんの将来が輝けるものになるよう祈っていますね。

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築地は思い出の中に

八幡鮨四代目が生まれたのは昭和9年。

その翌年に開場した築地市場は先日83年の歴史に幕を下ろしました。

東京の、というより日本の台所の役割を長年にわたり果たしてくれましたね。

八幡鮨は二代目から六代目まで、五世代に亘って通い続けました。

その間、戦争や戦後の食糧難、高度経済成長やバブル景気など、いろんな時代が過ぎて行きましたが、どんな時も食の中心としてこの国を引っ張ってきてくれたのが築地でした。

そんな築地に、寿司屋のひとりとして長年お世話になり、育ててもらえたことは本当に幸せなことでした。

何の目的で豊洲に移転するのか未だに腑に落ちないことはたくさんありますが、決まったことは受け入れていくより他ありません。

豊洲がより近代的で安心安全であることは間違いないでしょうから、今後はそこから皆様に喜んでいただける美味しい魚を仕入れていきますね!

築地で培った多くの良いことを、新天地でも生かして、それを次の世代に伝承していけたらいいですね。

築地市場。長い間ごくろうさまでした。感謝。

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黒曜石の本領

以前日本テレビのニュースエブリーで取り上げてもらった八幡鮨の黒曜石のニュース。

多くの方に見ていただきましたね。

あの時は諏訪の扶養パーライト社の河西社長さんに、黒曜石のことでいろいろとお世話になったものです。

今も八幡鮨ではいろんな場面で黒曜石を使っています。

仕込みをした魚や貝の養生にはもちろん、塩をまろやかにしたり、ペットボトルの水に入れてより美味しくしたりと、活躍の場はそれはたくさんあります。

話は変わりますが、詩人でお客様の秋田雨雀先生に書いていただいた「菊花に寄せて」という色紙があります。

その中に「真白の菊の花…」という部分がありまして、なぜか急にその一文を思い出しました。

秋のお彼岸ということもあり、秋田雨雀先生の言う白い菊を愛でたくなり、花屋さんで買ってきて自室に置いてみます。

小ぶりながら真白な一輪の菊の花。

黒曜石を入れたペットボトルに活けましょう。

以来毎日、朝に晩に楽しんでいます。

花はいいものですね。

ちなみに活けたのが9月11日水曜日。今日は10月1日ですから、ちょうど3週間になります。

その間一度も水替えも茎の水あげもしていないのですが、ご覧くださいこの水の透明度!

当初はまだまだ暑い日が続いていましてから、すぐに水も濁ってしまい、数日で換えるようだと思っていたのですが、何日経っても澄んだ水のままでしたから替えないままに今日に至ってしまったわけです。

少し回りくどくなってしまいましたが、これが黒曜石の力なのですね。

この透明度ですとまだまだ長く花を楽しめそうです。

これからも黒曜石にはどんどん活躍してもらいましょう。

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五世代続けて吉野家

このブログで何度も登場している吉野家築地一号店。

その吉野家さんから依頼されて、社内報のインタビューを受けて来ました。

親子三代でということでしたので、三人揃っての初めての築地です。

インタビューは築地の吉野家さんに来だすようになったきっかけや、好みのメニューは何かなど。

ご存知のように五代目の好みは「皿の特盛 葱抜き つゆ抜き、それにごはん軽々」、息子は「アタマの特盛 葱ダクダク」。

四代目は「アタマの大盛り」をいつも食べていたそう。

四代目はそれこそ、吉野家さんの初代がお店にいる頃からの常連ですから、思い出はたくさんあるそうです。

例えば・・・四代目が子どもの頃に、四代目のおじいちゃん(つまり二代目ですね)とお父さん(三代目)に連れられて河岸に来た時に食べた吉野家さんの牛丼が、四代目の最初の吉野家さんの記憶だとか、二十代の頃は息子兄弟が厨房でタオルを頭に巻いて牛丼を作っていたことだとか・・・

何より当時の吉野家さんの牛丼は、当然のことながら国産牛しか使っていませんから、それはそれは美味しかったのだとか。

今も築地一号店の牛丼はピカイチに美味しいと感じている五代目にとっては、それは想像すらできないことです。

インタビューで語ったところによりますと、当時牛丼はどちらかというと安価な食べ物ではなかったそうで、河岸に通う名の通った寿司屋の旦那衆などが多く利用するお店で、今のように場内の人たちやお勤めの人たちが、仕事上がりやお昼ご飯に気軽に食べられるようなものではないのだとか(それはそうですよね、五代目が子どもの頃も、肉は断然贅沢で高価なものでしたから)。

そう行った旦那衆は当然舌も肥えていますから、その人たちを足繁く通わせるということは、やはり相当に美味しかったのでしょう。

その旦那衆の一人、うちの四代目が修行していた新宿の料理屋菊政のご主人はほとんど毎日、小僧さんを連れて食べに行っていたそうです。

うちの二代目も肉好きで、これは四代目の想像ですが、二代目はあるいは日本橋の魚市場の頃から吉野家さんに通っていたかもしれませんね。

吉野家さんにはもう一つエピソードがあって、それは仕入れる肉質の厳しさ。

戦前から戦後にかけて、たまたま八幡鮨のお客さんで吉野家さんに肉を卸している、たけちゃんと言う愛称の肉屋の番頭さんが来ていました。

そのたけちゃんがカウンターで飲みながら言うのです「吉野家の親父はそれは厳しい人でね、最高の肉の中のさらに最高のもの。そのバラ肉じゃないと使ってくれないんだ」と。

ですから四代目が、戦後寿司が再開になってから仕入れに行くようになると、たまの贅沢で入るのですね。

お店には小柄な初代が高い朴歯の下駄を履いて腕を組み、「らっしゃい!らっしゃい!」と元気にお客に声をかけていました。

四代目が食べながら「おじさんいくつ?」と訊いたところ92とか93と答えたそうです。

時代が変わり、味のニーズも変わってきましたが、これからもずっと美味しい牛丼を食べさせてください。

築地一号店。八幡鮨五世代に亘っていつも感動する味を食べさせてくれてありがとう。

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