昨年の夏に実に5年ぶりの訪越を果たし、多くの知人・友人と再会することができ充実した滞在になったことは以前のブログで書きましたね。
しかしそのあとにもうひとつ大きな出来事があったことまでは書いていませんでしたので、今日はそのことを書こうと思います。
実は帰りの飛行機の中で五代目が食中毒を発症してまうと言うおまけが付いていたのです。
結局何が原因か分からず終いだったのですが、食中毒だったというのは間違いなく、それはそれは本当に恐ろしいものでした。
どんなに恐ろしいかというと、五代目の場合意識がなくなるほどに酷いものだったのです。
ノイバイ空港で中華航空(台湾)の機内食を楽しみに乗機したまではよかったのですが、乗機から小一時間した頃から悪寒と痙攣が襲ってきて、しばらくすると急に意識混濁となってしまったのです。
そこからは記憶がないのですが、客室乗務員の方が乗客に呼びかけて、ひとりの女性がそれに応えて五代目の介抱をしてくれたそうです。
後から聞いたところによると、彼女が五代目に酸素マスクをあてがい、血圧計と血中酸素濃度計を取り付けて経過観察しながらずっと看病してくれていたとのこと。
着陸体制に入ってからは自席に戻り、彼女は降機していきましたが、降り際に家内が彼女の Facebookのポータルページをスクリーンショットしておいてくれたおかげで、後日になって五代目から連絡を取ることができました。
恩人の彼女はアリゾナの病院に勤務する看護師さんということで、以降はたまに連絡を取り合うようになり、機会があればぜひ日本に遊びにきてと伝えてました。
そしてそしてついに彼女が来日することになり、過日彼女のお姉さんと姪っ子ふたりを伴ってきてくれたのです!!
再会したときは旧知の仲のように感じましたが、考えてみたら機内では意識を失っていたので彼女のことは覚えてなかったんですよね。
ちょうどこの日は日曜日で仕事が休みだったので、池袋の小原シェフのアルティザンさんにご招待し、みんなで美味しい鉄板焼きを食べながらあのときのことやお互いのことなど色々と話をしました。
翌日の夜はもちろん八幡鮨にご招待です。
五代目が彼女にできる最大のお礼は、五代目の握ったお寿司を食べてもらうことですから。
初めての日本で初めてのお寿司は姪っ子たちには少しハードルが高いかもしれませんが、それでも姪っ子の一人は魚好きだからか抵抗なく食べてくれます。
もちろん彼女もお姉さんもとても喜んでくれました。
カウンター越しに会話も弾み、お互いに楽しいひとときを過ごせました。
今頃は京都や奈良、大阪などを回っている彼女たち。
日本で素敵な経験をたくさんしてくれたらいいですね。
それにしてもご縁というものは、どこでどう繋がるかわかりませんね。
これからもひとつひとつの縁を大切にしていきたいと思います。
ありがとうCaridel。
ところで、飛行機の話が途中で終わってしまいましたが、そちらはそちらで続きがありまして・・・
ハノイから東京は直行便ではなく台北でのトランジットの便だったため、そんな病人がそのまま乗り継ぎ便に乗れるわけがなく、桃園空港で待っていてくれた救急車に乗せられて病院に一直線。
これはまた長くなるので、後日にしますね。



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