女性寿司職人のハシリ
八幡鮨三代目の安井ユキは女性寿司職人でした。
明治38(1905)年3月生まれで、今から20年ほど前に102歳で亡くなりました。
ユキが子供の時分に、よく大隈重信侯に遊んでもらった話は以前にも書きましたね。
その頃は八幡屋はまだ団子屋でしたが、大正時代の半ばに寿司屋に転身しています。
寿司屋に転身したのも、ユキの寿司好きを親がみて、そんなに好きならいっそのこと寿司屋を開業してやるかという感じで始めます。
当初は職人さんを雇って商売していたのですが、ユキは寿司好きが昂じて見様見真似で自分でも握り出してしまいます。
そしていつしか自ら付け場(今でいうカウンター)に立つようになります。

大正12(1923)年の関東大震災の後ぐらいにはすでに握っていたのですから、今から百年以上も前の話ですね。
ちなみにユキが見様見真似をした職人さんは「キズクラ」さんというあだ名の人で、当時の職人さんはみんなあだ名で呼び合っていたのだとか。
キズクラさんは顔に傷があるからキズクラとか、オケラの文さんは宵越しの金を持たない人だとか、今時のあだ名のように「えいちゃん」や「しんちゃん」などとは違うところが面白いですね。・・・ちょっと脇道に逸れてしまいました💦
当時日本に女性の寿司職人さんがいたのかはわかりませんが、男社会の寿司業界においてユキは異端であり先駆者の一人であったことは間違いないでしょう。
四代目が若い頃、ユキからこんなエピソードを聞いたそうです↓
お客さんが引き戸を開けて入ってきたところ、カウンターに立つユキを見るや否や「なんだ女が握ってるのか」と言って踵を返して出ていってしまったそうです。
今でこそ女性の寿司職人さんは増えてきて尊敬もされていますが、当時は女性が寿司を握るなど考えられない時代でした。
そのときユキは相当に悔しい思いだったといいます。
ちなみにユキが100歳の誕生日を迎えたとき、寿司ダネとシャリを家に持っていって握ってもらいました。

寿司から離れて40年も経っていますし、認知症も患っていましたから、寿司を握るのはさすがに無理かなと思いつつもやってもらいました。
そうしたらまず手を洗い、寿司ダネに向き合って握り始めるではないですか。
それも寿司ダネの表面と裏面をしっかり確認してから握るのです。
そして出来上がったお寿司は、寿司の教科書になるほどに美しい形をしていました。
美しいお寿司を形容する言葉に「扇の形」というのがありますが、ユキの握りはまさに扇の形そのものです。
大きさは今のお寿司の1.5倍ほどでしょうか。
昔の握りの標準です。
食べてみると、これがふわっとして口の中でほどけるのです。
40年ぶりに、それも無心で握った100歳のお寿司がこんなに美味しいとは!
あれは感動の体験でした。
そのユキが現役時代に、息子の四代目にいつも言っていた言葉があります。
それは「ひとつ一つ心を籠めて握りなさい」の言葉。
それは代を継いで今も五代目の握りに生きています。
そして過日出版した四代目の著書「寿司一貫」のタイトルになって表れてもいます。
二代目が愛娘の寿司好きにほだされて始めた寿司屋で、ユキはその寿司への情熱をしっかりと開花させ息子、孫へと受け継がれて未来へ続きます。

今日は女性寿司職人のハシリであるユキに敬意を表してこのブログを書きました。




